2026年1月9日(金)
好天が続いているので、昨年に続いて今年も所沢七福神巡りに行くことにした。

東口に出て、西武鉄道本社↓と駅ビル・グランエミオの間を抜けて行く。


突き当たりを左右折して、大踏切から延びる市道とのT字路へ。南側一帯では、西口へのアンダーパス工事が進められている。

歩道の無い市道を南南東へ向かい、西武バスの営業所前を通過して北秋津交差点へ。

交差点の手前、北西側には八雲神社があり、近くの保育園児が境内で遊んでいた。

交差点は6差路だろうか、右折して少し上がって南に延びる細道へ。
住宅地や畑などの間を進み、緩やかな左カーブで下るとT字路になる。

T字路の手前、東側斜面は茶畑。

T字路際には2基のお地蔵さんが祭られていて、これは西北側。

その横を右折、そばの民家の道路際はジュウガツザクラだろうか、たくさんの花が。

次のT字路で竹林横を上がり、さらにT字路を左折して再度T字路際へ。
左手の民家の門前に、西国・板東・秩父百番観音拝礼塔4基が並んでいた。

右折して住宅地を進むと右手斜面上に康松堂霊園があり、その一角に康松堂が祭られている。

その先で県道4号・東京所沢線を横断し、竹林沿いに進めば所沢七福神第1番の持明院へ。

持明院は、平安時代創建と伝えられる寺。その昔、南側を流れる柳瀬川にいた河かっぱが和尚様に説教されて「詫び証文」を書いたという伝説が残っているとか。

簡易な門を入った左手に六地蔵堂があり、傍らに二宮金次郎像も。

第1番・恵比寿尊は本堂の手前に祭られている。

南向きの本堂はコンクリート製。

境内南側は竹林で、その崖下にカッパ伝説のある柳瀬川が流れ、竹林のため境内は午前中は日陰に。

本堂の西側には宝形屋根のお堂が、その背後には三界萬霊塔と五輪塔がある。

その下、崖地の中腹が墓地で、最下部を西武新宿線の線路が走り、線路の向こう側は国際航空専門学校で、その上部に奥多摩から奥武蔵に続く山並みが望まれる。

11時07分に持明院を後にした。
県道4号まで戻って県道を西北西へ、西武新宿線を跨ぐ陸橋へと高度を上げる。

跨道橋からの北側、所沢駅方面の眺め。

こちらは南側の東村山駅方面

渡り終えた西南側線路際には、ミカンとキンカンが実をいっぱい。

すぐ先で、県道から下のバスの走る市道へと細い急坂を下り、久米境交差点を渡る。

交差点のT字路を西へ、交通量が多いが歩道の無い市道を進み、次の勢揃橋北交差点を直進して少しで七福神第2番の長久寺前へ。

関東には珍しい時宗の寺で、市内でもここだけとか。山門前に鍾馗像が構え立つ。

七福神の第2番・大黒天は門を入った右手に祭られている。


正面が本堂で、手前左手には所沢市指定文化財の開国供養塔と六地蔵堂が並び、その横のお堂際には市の保存樹木になっているカシの古木が。


本堂に参拝して、持明院同様に健康や国内外の平安など祈願した。

背後には、秋に色づくドウダンツツジの古木がある。

境内東南側には豊川稲荷神社もあり、東側から回り参拝した。

神社の東側の鐘楼の鐘は、確か除夜には撞かれるはず。

そばの白梅が咲き出していた。


豊川稲荷神社の参道を抜けて、11時41分に長久寺を後にする。
往路を最寄りの勢揃橋北交差点路まで戻る。 中央の白い住宅の所は昨年までは老舗の日本料理店「野老」(ところ)だったが、廃業したよう。

セブンイレブンのある勢揃橋北交差点のT字路を右折して南へ、近くのバス停は勢揃橋(せいぞろいばし)で、橋はすぐ先の柳瀬川に架橋されている。

橋の名は、「新田義貞が鎌倉攻めの際、ここで数万の兵を勢揃いさせたことから名付けられた」とされているよう。
橋を過ぎて、緩いカーブの続くバス道路を松が丘東交差点近くまで進む。

交差点の左手前に大きな調整池があり、池の半分以上は「フロートソーラー所沢」と呼ぶ太陽光発電のパネルで覆われている。

調整池は、交差点の西側に広がる松が丘住宅地の洪水対策用に造られたもの。
交差点の西側には県道4号バイパスの未開通区間があるが、東側の東京・東村山市との都県境までの一部が買収中で、いつ開通するのか未定のよう。

ここまでは、歩道の無い片側1車線で交通量の多い道路が多かったが、この先は一転、木々の多い稜線や武蔵野の面影を残すエリアなどが増える。
松が丘交差点の少し先から、前方の狭山丘陵東端の八国山緑地に向かって団地の東端になる住宅地を回り込む。
ここが八国山緑地の東端、昨年まであった八国山緑地のパネルは撤去されていた。

八国山緑地の稜線上に向かい、木の段を上がって行く。


稜線上近くまで進むと、北方に所沢市中心市街地のタワーマンション群や、所沢駅周辺のビル群などが望まれる。



さらに、ナラやクヌギなどの林間を上がって少しで、「元弘青石塔婆行在趾」碑が立ち、背後に「将軍塚」パネルがあり、この地は、新田義貞が鎌倉討伐の際に陣を構えたとされる場所だという。


北側の小さい塚の上部には「将軍塚碑」がある。

さらに葉の落ちた雑木林などの間を西進する。この遊歩道は都県境で、左手(南側)が東京・東村山市、右手(北側)は埼玉県所沢市。

この辺りは、樹林の再生のため20年前後で木の根元で伐採して新しい芽を伸ばす「萌芽更新」(ほうがこうしん)して間もないエリア。
少し進んだ樹間からも、所沢の中心市街地周辺のタワーマンションが。

遊歩道にはベンチもあり、そのひとつで小休止して水分補給した。



Y字路に出た。南東側の広場からは東村山駅西口のタワーマンションが望まれ、広場の東側にはトイレもある。

さらに稜線上を西へ、次のT字路から左下に「ほっこり広場」が見下ろせる。


間もなく現れた、右手(北側)稜線下に続く松が丘団地への階段を下り、少し西へ回り込む進むと、眼下の松が丘住宅地の向こうに次の佛眼寺が見えてきた。

さらに階段を下り、「松が丘中央公園」横のT字路へ。


公園横を北へ、次の松が丘中央交差点を横断して「久米八幡越市民緑地」↑沿いに東に回り込み、12時42分に所沢七福神第3番の佛眼寺前に出た。

六地蔵堂前の石段を数段上がり境内へ。

佛眼寺は、平安時代の開基と伝えられとか。明治維新までは北側にある鳩峰八幡神社を管理する別当寺だったという。

本道右手前の一願観音に並び、所沢七福神3番の福禄寿尊が。

本堂と福禄寿尊に参拝して、1,2番同様に祈願した。
境内東側には十三重塔があり、その背後には十三仏像が並ぶ。

東側の門から佛眼寺を後にした。

今日の巡拝はここまでとし、後半に訪れる↑北側高みに見える鳩峰八幡宮方面を眺め、帰路のバス停に向かう。

松が丘中央交差点の東側から、松が丘住宅地を貫くバス道を東へ少しで水天宮下バス停へ。
次のバスまで少し時間があるので、もうひとつ先まで行くことに。

さらに東進して悲田処後バス停まで行き、13時05分発の所沢駅西口行き西武バスに乗る。

所沢駅西口バス停には13時17分に着いた。
昼食をすることにして、近くの大規模商業施設「エミテラス」へ。


1階にある食堂街「こもれびフードホール」に入って丸亀製麺前へ。

15人くらい並ぶ後に付き、とろ玉うどんと さつま芋天(780円)を注文して昼食とした。


所沢駅の南改札を入って西武池袋線下り電車に乗り、14時47分に帰宅した。
12時~13時でも気温7℃台だったが、風が無かったので寒さは感じなかった。